言いたいことは言った方がいいけれど

伝えたいことは伝えたい。でも相手を受け止めなければ何も前に進まない。
それは自分の否を認めること。だけど、それも中々難しかったりする。
認めたうえで、自分の気持ちを伝えたい。
「否定」することはとても簡単だ。
「肯定」することはとても難しい。
投げられたボールを打ち落としてしまっては絶対に相手に返らないように、
真っ向から「否定」してしまっては会話も成り立たない。
「自己弁護」もとても簡単だ。
ミットを被ってボールを受け取らなければいいのだから。
でも、投げられたボールは手の届かない所に行ってしまう。
たとえ受け取っても、相手にぶつけることしか考えなければキャッチボールは成立しない。


「被害者」だと思ってる人は「加害者」を探そうとする。
そして「加害者」だと決めた人に危険球を投げつける。
どんな結果になるのかも考えずに。
「被害者」は確かに気の毒だけど、「加害者」や「共犯者」にも言い分があることもある。
何で目に見える「加害者」にならなければならなかったのかを。
「加害者」はその前に「被害者」だったかもしれないから。
自分が知らないうちに「加害者」になってたかもしれない事。


せめて、言葉を出す前に振り返ろう。
出した言葉は戻せないのだから。


「そうですよね」「すみませんでした」
その言葉から始まることって、結構多い。


と、痛感する最近。